新10000円の肖像画 渋沢栄一とは!?日本人なら知っておきたい肖像画になった理由とは!?
こーきです!
今日は2024年上期に刷新する新札についてです!!2024年とと聞くとまだまだ先のように感じますが、
2020年はオリンピック!
2021年はワールドマスターズゲーム!
2024年はパリオリンピック!
2025年は大阪万博!
などなど
イベントがいっぱいあります!!
気づいたら2024年!となること間違いなし!!
2024年に刷新されるお札は2004ぶりです!
- 一万円札
- 五千円札
樋口一葉→津田梅子
- 千円札
今日は一万円札の渋沢栄一がどんな人だったのか!?なさ1万円札の肖像画になったのかを調べてみました!
渋沢栄一とは!?
渋沢栄一さんは血洗島という、名前だけ聞くと恐ろしい土地で生まれました!
今で言う埼玉県深川市で藍染で有名だったそうです!渋沢家はお父さんの代から藍染事業を始めており、地域でも有名な豪農だったそうです。当時の日本は西洋列強で,
西洋の粗悪な銀を日本の金と交換していたそうです。
そのことをきっかけに渋沢さんは外国人に対して不信感を感じ、
24歳の時に仲間と外国人居留地の焼き討ち計画を立てたそうです。
しかし外国人居留地を攻撃したからといって、
何も変わらないと気づき、小事より国自体を変えることに注力したそうです。
渋沢栄一さんの実績とは!?
当時は政府と商人の立場が対等ではなかったそうです。
そこで渋沢さんは自身が政府に入って、
日本の経済の立て直し、商人が商売をしやすいようにインフラ整備を行ったそうです。
また渋沢さんの実績として、日本最初の「株式会社」を設立。
日本最初の「銀行」の立ち上げを行ったそうです。
そのほかにも、企業の立ち上げにも携われ、王子製紙、キリンビール、帝国ホテルなど100年以上つづく企業を次々と手がけられました。
なぜ渋沢さんが1万円の肖像画になったのか!?
渋沢さんは「道徳経済合一」を唱えておりました。
利益追求は大切にするのは大前提で、道理道徳に基づく経済活動を進めておられました。「経済は忍耐」という言葉を残されておりますが、
事業は軌道に乗るまで困難がつきものですが、将来を見据えて、将来像をイメージすることで困難を乗り越えられるということを教えてくれているようです。
それは今の日本に必要なことで、目先の利益を追い求めないで
将来像を見据え長期的な繁栄を目指して経済をすすめるメッセージが含まれていると思います。人はどうしても目先の利益に走ってしまします。
それを1万円札を見るたびに思い返させてくれるのが渋沢さんです。